「あの人はいいなぁ。私ってほんと、何にももってないなぁ…」
と内心ため息をついてしまうあなたへ。
お金もコネも経験もない2児の母の私が
40手前で開業届を提出し、
インタビューライターとして活動する中で学んだ
「自分のふつうは当たり前じゃない」に
気づく大切さを5分でお伝えします。
どうぞ、読んでみてください。
自分が当たり前にやっていることは、他人にとっての当たり前ではない。
頭では分かっていても、なかなか腑に落ちていないという方が
実は多いのではないでしょうか。
朝5時に起きるのが当たり前の人は、
夜遅くまで起きていられる人の気持ちが
分からないかもしれません。
毎日、何を着るか楽しんで選べる人は、
スティーブ・ジョブズがいつも同じ服しか着ないことに
疑問を持つかもしれません。
大人数でワイワイするのが好きな人は、
ひとり時間を好む人の気持ちが
想像できないかもしれません。
どっちがいいとか悪いとかではなく、
どちらかの選択が自分の当たり前であり続けたとき、
それが他人にとっても当たり前だと思ってしまうのが人間です。
だけど
「自分の当たり前は他人とは違う」
「自分の当たり前は他人にとっては魅力になる」
と気づいていれば、違いを恐れることなく、
プライベートでも、ビジネス面でも自分らしく過ごしていけます。
なぜならその違いは、立派な「才能」になるからです。
そして、才能とは、
です。
「そんなこと言ったって、ずっと続けているすごい才能なんてないよ」と
思うかもしれません。私もそうでした。
でも才能って、
素早く暗算ができるとか、
円周率を何桁も覚えていられるとか、
見たものを瞬時に描き出せるといった、
人並外れた能力のことだけを指すのではありません。
”以前の私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていました。
しかし今は、十年、二十年と、ひとつの物事をずっと長く続けること、
継続することが、一番の才能ではないかと思います。”
<才能とは続けられること 強さの原点 羽生善治>
羽生善治さんが著書で語っているように続けることは、才能です。
あなたにもありませんか?
ついやってしまうこと。
夢中になってしまうこと。
気がついたら考えていること。
そんな風に続けられる何か=「才能」だと私も思います。
・グルテンフリーのお菓子を作るのが好き
・夜な夜な刺繍をするのが苦にならない
・地図とにらめっこしながら旅行の計画を立てるのにワクワクする
・自分に似合うメイクの仕方を追求している etc
自分ではただ好きだからやってしまう「ふつう」のことが、
他人から見たら難しかったり、やりたくないことだったりします。
それを
「こんなの誰でもできるよ」
「みんなやってるよ」
と片付けてしまうのはもったいない!!
自分の才能の芽を自分で摘んでしまっていることになります。
だけどその「才能の芽」は、自分自身では気づきにくいのも確かです。
ではどうしたら、自分の才能の芽に気づけるのでしょう?
それには、「聴いてもらう体験」が必要になってきます。
「聞く」ではなく「聴く」を大事にしたい。
そう思って日々を過ごしています。
意識せずとも耳に入ってくる「聞く」ではなく、
目の前の相手に全集中して「聴く」。
その行為には大きな可能性があると信じているからです。
”仕事でもプライベートでも、われわれはほとんどの時間を『聞く/聞かれる』の中で過ごしている。
自分がなにをしゃべるかばかりを考えて、ぞんざいなキャッチボールを続けている。
逆にいうとわれわれはみな、誠実な『聴き手=キャッチャー』に飢えている。人は、話したいのではない。
声を大にして訴えたいことを抱えているのでもない。わかってもらったり、感心してもらいたいのでもない。
それよりもまず、『聴いてもらいたい』のだ。
自分の声をさえぎることなく聴いてもらえることが、他者から尊重され、承認されている、なによりの証なのだ。”
<取材・執筆・推敲 書く人の教科書 古賀史健>
聴くとは、相手の存在を認めること。
人に話を聴いてもらうことは、自分の存在を認めてもらうことです。
聴かれる体験をした人は、何をしたいのか、何をすべきかを理解して
自分を認め、行動もできるようになります。
つまり、聴かれることは、行動の出発点になりえるのです。
人は自分ひとりでは、自分の現在地を確認できません。
他者がいて、比較をして、違いを知るから、自分をより理解できるようになります。
他者に話を聴いてもらうことは、自分を知るためにもとても大切です。
「じゃあ、コーチングを受けたらいいの?」
「深い悩みを抱えているわけではないけど、カウンセリングを受けるってこと?」
という声が聞こえてきそうです。
どちらも良いかと思いますが、私がオススメしたいのは「インタビュー」です。
私は個人でインタビューの活動をしていますが、
そのきっかけはコーチングを受けたからです。
自分は何をしたいのか。
何を感じているのか。
普段言葉にすることのない、想いや考えを引き出してくれるコーチの存在は
ありがたいものでした。
その時は「これだ!!」と自分の中での最適解に辿り着き、
視界がクリアになります。
でも、時間が経つと忘れてしまうのです。
話すのに夢中になって、思考の過程をメモできてなかったり、
できたとしても、想いのスピードに書くスピードが追いつかず、肝心なところが抜けていたり…。
自分なりの正解に辿り着いたプロセスを忘れてしまう。
あのときの熱量が薄らいでしまう。
そんな気がしていました。
「自分が話したことを文章にしてくれる人がいたらいいのに」
「思考の経過が辿れたら、あのときの気持ちを思い出せるのに」
そんな風に思っていたのです。
それなら自分でやってみたらいいのでは…?
もしかしたら、喜んでくれる人がいるかもしれない。
そう思って、私はインタビュー活動を始めました。
インタビューとコーチング・カウンセリングの大きな違いの1つは
「他者のフィルターを通した自分が文章になること」です。
これって、おもしろくありませんか?
「私って、こんな風に見えるんだ!」
「自分ではふつうだと思ってたけど、これは魅力になるんだ!」
「過去のあの出来事が、今につながっているんだ!」
きっと、そんな気づきがあるはずです。
第三者から見た自分が文章になるのは、
会社の社長さんや、ある道の第一人者であれば
日常茶飯事の出来事かもしれません。
逆に言えば、普通のお母さん、普通の会社員、普通の自営業者なら
インタビューされることなんて、ほとんどない機会です。
でも冒頭から書いている通り、普通は「ふつうではない」のです。
ただ自分が気づいていないだけ。
「ふつう」に光を当てて、想いをすくいあげる行為は、
話し手さんの生き方の肯定につながります。
そしてそれは、話し手さん自身が、
自分の今までの生き方に意味を見出すことにもなります。
どんな自分も受け入れる「自己受容」にもつながって
日々の風景の見え方や、ものごとの受け取り方、感じ方が変わっていきます。
少し大げさに言えば、人生が楽しくなっていくんです。
そう問われたら、何て答えますか?
実は、この文章の仕上げ段階で、友人がある記事を紹介してくれました。
その記事がものすごく良かったんです。
ここに載せたい!と強く思ってしまったので、
公開予定日の朝5時に文章を書き直しています。
”その日、渡邊さんは、
「いい状態ってなんですか?」
という問いを投げかけた。
中略
私の番がきた時、
私はつぎのようなことを言った。
「人は、ただ想いを表現できるだけで、
幾分、いい状態と言えるんじゃないだろうか。」”
<ほぼ日刊イトイ新聞 おとなの小論文教室。Lesson1079 山田ズーニー https://www.1101.com/essay/2023-06-28.html>
うまくいっても、いかなくても
まずは自分が何を思っているのかを表現する。
その大切さを山田ズーニーさんは語っています。
想いをすり替えたり、フタをして無きものにせず
そのままの自分の想いを表現することは、自分で自分を認めることにもなります。
私は今こうして文章を綴っていますが、
これは私が思っていること、考えていることです。
その想いや考えを凝縮したサービスである
「言語化セッション」や「言語化インタビュー」を
今文章を読んでくださっている方に受けてほしい。
そんな気持ちで書いています。
だけど本当のところを言えば、
この長い文章をここまで読んでくださっているだけで嬉しいし、
1つの読み物として楽しんでくれたら、
もうそれだけで十分です(笑)
きっとこの長い文章を読んでくださっている方は
読むことがお好きなはずです。
ご自分の中に蓄積された言葉をもっていると思います。
それをぜひ、ご自身で表現してみてください。
もしそこで、ひとりで考えて文章にするのが億劫だと感じたり
誰かに聴いてもらいながら、思考を整理していきたいと思ったりしたら
言語化セッションを受けてみてください。
自分のことだけど、自分以外から見た自分を表現してほしいと感じたり
今までの自分を振り返り、これからの自分にメッセージを残してほしいと思ったりしたら
言語化インタビューを受けてみてください。